葬儀という言葉に持つ印象は、今と昔では大きく異なっています。かつては、故人にとって最後の儀式となるため、大人数で盛大に送り出すというのがひとつの礼儀だと考えられていました。また、小規模な葬儀になってしまった場合には、故人がかわいそうだったなどという遺族の気持ちにそぐわない発言も多く聞かれました。
それが現代に入り、葬儀とは大勢で故人を送り出すというものから、最後の時をゆっくりと一緒に過ごし、その別れを認識するという考え方に変わってきています。お通夜や告別式などの形でお別れの時間は設けられていますが、もっと直接的に故人のそばにいたいという人が増えてきているようです。
現代社会は、人間関係が希薄だと言われますが、希薄だからこそ最後の時間は世間体などを気にせず、一緒に過ごしたいと考えるのかもしれません。
友人・知人や親族の突然の不幸の知らせは、誰にとってもたいへん驚く出来事です。マナーやしきたりや宗教などについて、どのように振る舞えばいいのかよくわからなくて戸惑ってしまう場合も多いことでしょう。通夜・葬儀・告別式に参列する時に最も大切なことは、亡くなられた人を敬い、安らかな旅立ちを祈り、残された家族を慰める心を持って参列することです。
葬式のマナーは、時代とともに変わってきてはいますが、古くからのしきたりや守らなければならない礼儀作法が、まだ残っていることもあるので、堅苦しくて面倒くさそうなイメージを持っている人も多いかもしれません。
ですが、1度覚えてしまえばどんな時でも通用するので、かえって簡単だといえます。葬式のマナーを覚えてきちんと身につけておくことは、1人前の社会人として重要なことです。
葬儀など要らない、そっと見送ってほしい、といった考え方の人が増えています。確かに、かつて見られたように、必要以上にお金をかけた豪華な法要は、現在では余り好まれません。しかし、だからといって、全く何も行わなくていいのかというと、そうではありません。
まず、葬儀は誰のために行うのかというところから考えてみて下さい。亡くなった方のためでしょうか。もちろん、遺言であれこれ決められていて、それが絶対であるのならそれに従うしかありませんが、葬儀は必ずしも亡くなった方のためだけに行うのではありません。
故人が生前お世話になった方々への御礼、御挨拶、けじめという意味もありましょうが、何よりも、残された遺族の気持ちの整理というものが優先されるべきです。誕生日などと違い、このお別れの日は、故人と遺族にとって一生に一度しかやってきません。
そして、その日以降、遺族は今までは空気のように当然に存在していた故人なしで、ずっと生き続けていかねばならなくなります。その決意を固めるには、やはり何か大きなきっかけが必要です。ただ泣くだけなら、いつでもできますから、その「始まりの日」が必要になります。
その「始まりの日」に、それこそ心が沈んで大変な日に、わざわざ大勢の人を集めて故人との最後の別れをします。実は、そうすることによって、遺族の心も落ち着き、「これで気が済んだ」という状態になれます。